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【田中】 高橋先生から、標君が裂脳症だという告知をされて、
徳永さんも奥さんも、そこから二十四時間でその現実を
受け止めて、手術を決意しましたね。
その時の状況は、どんな感じだったのですか? |
徳永 |
標の発育に問題がありそうだということで、当時、銭函にいた高橋先生に診ていただくことになりました。妻と息子は、先に母子入院という形で札幌に来ていて、僕は当時住んでいた十勝から合流したんです。CTやMRIなどの検査を全部やって、妻と二人で先生の診断を受けました。
CTの写真を見せられて、「脳の一部が欠けています」と言われたのですが、最初は、先生が言っていることの意味がわかりませんでした。脳の一部がないなんて現実にはあり得ないことだと思っていたので、うまく理解できなかったし、動揺して、言葉が出なかったんです。やっとの思いで、これからどうなるんですかって聞いたら、どんどん刺激を入れていかないと体が硬くなっていきます。脳性麻痺みたいな部類になるから、と説明されました。それから、先生に「頭の中に溜まっている水を抜いた方がいいかも」と言われたんですよね。
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高橋 |
抜いたら何が増えるかわかるかい?って言ったんだよね。
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徳永 |
ええ、先生は、水がなくなったところに、脳の発達が望めるかもしれない、と。まだ一〇〇%じゃないけど、そういうことが可能性としてあるから、髄液を抜くシャントという管を入れた方がいいよと言われて、「入れないとどうなりますか」って聞いたら、「このままじゃ、何も変わらない。少しでも可能性のあるほうに賭けてみないか」って、そういうようなことを言われたんです。あまり良く覚えていませんけど……。
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高橋 |
診断の時、ほとんどの親御さんは冷静に聞いているけど、たぶん、頭の中が真っ白になっていると思うんだ。それに比べたら標の父さんは覚えているほうだよ。
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徳永 |
でも、先生の話の半分も頭に入っていなかったと思います。ただ、標は障がい者になったんだと。これを少しでも改善する可能性があるとしたら、頭を手術しなきゃ駄目なんだなって。そして、次の日には僕も妻も、標の手術をお願いしようっていう、同じ結論にたどり着きました。
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高橋 |
普通はたどり着かないよ。なかなか納得できないのが一般的なんだ。だから、いったんは諦めてもらって、次に展開するという形になる。でも、標の父さんと母さんは、わずか二十四時間で、あり得ないような現実を受け入れられた。二人ともスポーツをやっていたそうだけど、きっと、駄目と言われたことでも、努力してそれをひっくり返して勝った経験があったんだと思う。それで、駄目と言われても「よし、いくか」って、踏み切れたと思うよ。 |
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