恵子 |
息子の健典(けんすけ)(※1)のことで高橋先生と出会ったのは昭和60年のことでした。それからもう20年以上も経っていましたが、実話をもとにした「義男の空」という漫画が出版されることを新聞記事で見て、「あの時の高橋先生だ!」とすぐにわかりました。その当時の出来事がわーっと胸によみがえってきて、「高橋先生のことを知りたい。漫画を読んでみたい」と思い、すぐに新聞社に連絡をしてエアーダイブさんの電話番号を教えてもらったんです。
20年以上経っても高橋先生のことは心に深く残っていましたし、ずっと私たち家族の恩人だと思って生きてきました。だから、電話でスタッフの方と話しているうちに、いろいろな想いがあふれて、感極まったあまり「私たち夫婦があるのは、高橋先生のおかげなんです。先生と出会えたから、今まで生きてこられたんです。先生は私たちに、子どもを亡くした後の支えをくれたんです」と、思わず興奮した口調で話し続けてしまいました。
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英次 |
僕も高橋先生のことをよく覚えていました。だから出たばかりの「義男の空」の第一巻を夫婦で読んで、すごく感動して。当時のことを思い出して、涙をこらえることができませんでした。
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恵子 |
エアーダイブさんから「漫画のモデルに」というお話をいただいた時、最初はびっくりしました。でも、「こういうかたちで亡くなった健典とのことを残せるのならお受けしたい」と考えて、主人に相談したんです。
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英次 |
恵子からその話を聞いて、すぐに「いいよ」と言いました。僕たち夫婦は、ずっと先生に感謝の気持ちを持っていましたし、健典が亡くなって20年以上抱えてきた、その想いをくみ取ってもらえるのなら、いいんじゃないかと思ったんです。
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恵子 |
長男の英典(えいすけ)(※2)も、「健典のことをそういうかたちで残せるのなら、僕はうれしいよ」と喜んで賛成してくれました。私には「これで先生に少しは恩返しができるかも」という想いもありました。健典のことも先生のことも、私たち家族にとって、今もつながり続けていることなんです。だからこの漫画をきっかけに、こうしてまた先生とお会いすることができて、とても感激しています。
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高橋 |
20年以上経って、こうやって父さんと母さんにまた会うことができたのはすごい縁だと思う。人間は、どこかで必ずつながっている、ということだろうね。これは健典がくれた縁なんだと思うよ。
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恵子 |
私たち夫婦にとっては、先生との出会いも大きなものでした。いつも主人と「高橋先生には、子どもを亡くした後の人生のことまで教えていただいた」と話しているんです。健典の存在が、そして先生との出会いがあったから、夫婦の絆を深めることができたと思っています。
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高橋 |
今の時代は、人の死や生き方に対する考え方も合理的になってきているけれど、俺はそうじゃないと思う。親子にしても、夫婦にしても、人と人とのつながりはそう簡単に切れないし、切る必要もない。むしろ、「残す」そして「つなぐ」べきなんだ。そういうメッセージを伝えるためにも、この「義男の空」という漫画の意味があるんじゃないかな。
※1 作中では健助。 ※2 作中では洋助。
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