橋 |
さっき横山くんが少しふれたけど、シャント離脱はババッと簡単にできるようなものではないし、不可能な場合もあるんだ。また、医療者の立場から見ると、離脱までの間ずっと子どもを診続けていくのは手間が増え、リスクも生まれ、面倒も増える。リスクが少ない方や面倒ではない方を選んでいった結果、シャント離脱という考えはおのずと無くなっていったんだと思うよ。だけど、シャントを入れたままにしておくことがある意味では“新たな病態”を生み出していたわけで、やっぱりそれじゃいけない。
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横山 |
それで先生が考案したのが、髄液がシャントバルブを通って流れるときの圧をそれまでの倍以上に高く設定できるようにすることで、髄液の流出を減少させ、結果、子どもたちが元々持っている髄液循環・吸収能力の回復を助けることを目指す「高圧シャントバルブ」だったんです。
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橋 |
第1号のシャントが完成したのが1997年。俺と横山くんとの出会いは、ちょうどその頃だね。
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横山 |
そうですね。私は営業担当者として、先生と開発の現場の間に立って意見の伝達や調整を行いました。
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橋 |
いったんシャントが完成しても、どんどん改善したいところは出てくる。そこで横山くんが活躍してくれたんだ。それにしても、はじめに頼んだほかのメーカーを含め、最初の高圧シャントバルブができるまでには3〜4年もかかっているんだけど、外国に頼んで開発していたから細かい要素が伝わりづらかったんだろうね。
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横山 |
他のメーカーも、私の前任の営業担当者も、先生がやろうとしていることの根本を理解できていなかったんじゃないでしょうか。正直、最初はわからないものだと思います。なぜなら「積極的なシャント離脱」という発想自体がなかったですから。医学書にもシャント離脱の方法なんて書いてなかった。でも、先生にメカニズムを詳しく説明していただいて、私は医療者ではないけれど「可能性は十分にある。これはすごい考えだ」と思いました。それに加えて、先生に信念を感じたんです。それまでのシャントでも、なりゆきで抜くことができる状態になることはありましたけど、先生は、「たまたま抜けちゃった」ではなく、「意志を持って」シャントを抜こうとしていた。それは人間が持っている機能を回復する力や可能性に賭け、信じるということですよね。
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橋 |
横山くんが俺の担当になって、そういうところまで理解して指示を出してくれるようになって、いろんなことがスムーズに進み出したね。
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横山 |
余談ですが当時、高圧シャントバルブを製造したSOPHYSA社が当社の子会社となり、製作依頼が比較的スムーズになったことも良かったと思います。
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