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正攻法じゃ勝てないからな。間違ったことも練習してた。
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飯田 |
思えば、ラグビー部はびっくりするほどないないづくしだったな。部員も足りないし、ヘッドギアやスパイクなんかの用具もない。ラグビーゴールもグラウンドになくて練習場所もまともにない。いつもグラウンドの隅っこで基礎練習していた。あんな環境でよくやっていたよ。
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髙橋 |
あの頃の南高は生徒数がだいたい3千人くらいで、比喩じゃなく、本当に校舎から人があふれていた。グラウンドも、花形の部活が使えばもう人でいっぱいで、弱小ラグビー部に場所なんかくれない。実戦がてっとり早いと考えて、練習場所が使えるあちこちの学校と練習試合をした。そのマッチメイクも俺がやっていた。試合を申し込む時は公衆電話で他校の高校の先生や主将に電話するんだ。生徒がだよ? そのくらい、よく言えば自由、悪く言えばほっとかれていた。すごい時代だったな。
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小菅 |
すごいと言えば、戦い方も荒っぽかったな。ラグビーはそもそも接触が激しいスポーツだけど、昔は、審判に見えないように反則することなんて日常茶飯事。それが頭にきて、相手を背負い投げした奴がいたよな(笑)。もちろん即退場。びっくりしたけど見ていて痛快だった。
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飯田 |
ケンカ両成敗で相手も退場だったよな。審判も、先に反則したのは向こうだってわかってたんだ。
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髙橋 |
がむしゃらだったけど、実戦経験を積んでいくうちにチームが確実に強くなっていく。そこにしびれたね。
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飯田 |
オレたちは快進撃でよかったけど、相手チームは大変そうだったな。名もない弱小チームに負けるもんだからとんでもなく叱られててさ。大会である強豪校と接戦になった時には、ハーフタイム中、向こうの選手がOBにも監督にも怒鳴られてた。「お前ら、なんで素人軍団に負けてるんだ!」って。
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髙橋 |
その点こっちは生徒ばかりだから気楽なものだった。だけど、もし力のある指導者がついていたらもっと良質な練習ができて、もっと強くなっていただろうと今は思う。
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小菅 |
他校は体の使い方がうまかったもんな。体格は勝っているのにスクラムを組むと押されたりした。
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髙橋 |
戦術面でも、もっといい戦い方ができたんじゃないかって思いは正直ある。でも自分たちだけでやってきたから、最後の国体予選が終わった時には感動で胸一杯だった。「俺たち、短期間でよくここまで強くなったな」って。
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小菅 |
オレはその試合で肋骨を折ってるから、痛くて感動どころじゃなかったけどな。
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飯田 |
脳しんとう起こすわ骨折るわ、小菅はだいぶ被害を受けているな(笑)
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小菅 |
ただ、全道大会の審判は、北海道大学の獣医学部の教授だったんだ。オレ、大学でも柔道を続けるって決めてたからラグビーはやらなかったけど、先生は南高の戦いぶりに感動していてオレのことも覚えていて、大学時代、とてもかわいがってくださった。ラグビーあっての今のオレと言っても過言じゃないんだよ。
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髙橋 |
じゃあケガの件は帳消しにしておいてくれ(笑)。俺は大学でもラグビーを続けるつもりでいたけど、部がなくてな。作ろうとしたけど、人数が集まらなくてあきらめた。
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飯田 |
オレは高校時代は陸上部だったけど大学ではラグビー部に入った。高校時代に経験した、ラグビーの楽しさが忘れられなくてね。
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