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【田中】 徳永さんが、標君と高橋先生の絆の深さを
感じたのはどういう時だったのでしょうか。 |
徳永 |
一番心に残っているのは、ドレナージ(※)のトラブルの時です。頭から髄液が漏れて止まらなくなったんです。高橋先生は出張で四、五日留守にしていたので、その間、標はとても不安だったと思います。ようやく高橋先生が出張から帰ってきて、標に「これ、縫うか」って聞いたんです。
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高橋 |
麻酔の注射をするのも、その場で頭を何針か縫うのも痛いのは変わらないから、それなら「麻酔しなくてもいいな?」って標に聞いたんだ。
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徳永 |
標は「あなたに任せます」って感じの表情で。本当に懇願するような目で……。私の目なんて見ないんですよ。先生しか見ていない。僕には「先生、僕をなんとか助けてください」って訴えているように見えたんです。そして、先生が「麻酔なしでも大丈夫だろう?」って言ったら、標は、本当は頭を動かせるような状態じゃないんだけど、一生懸命うなずいているんです。
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高橋 |
それで麻酔なしで、ドレナージで開いていた頭の傷を縫ったんだよな。
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徳永 |
縫っている間も、普段は口が閉じないのに、歯を食いしばって耐えていましたね。縫い終わって、先生が「終わったぞ」って言ったら、ボロッと涙があふれて。泣いているんですけど、先生を見て「ありがとう」って感じで、顔はニッコニコしているんです。この二人の信頼関係ってすごいと思いました。親ですら立ち入ることのできない、絶対的な信頼感を持っています。
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高橋 |
標も努力してるよ。食べることもそうだけど、プールで浮いたり潜る練習をしたり、電動車いすが使えるようになったりね。親の血を受け継いでるんだと思うよ。馬鹿にされてもコツコツやる。最重度(裂脳症)の状態から、よくここまできた。
これから就職できるようになったら、すごいな。もしかしたら、そこまでいくんじゃないかな。そうしたら、また、いろいろなことががらりと変わるだろうな。
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徳永 |
そんな事がいつごろ叶うかわからないですけど、例えば二十五歳で叶うとしたら、標と僕ら家族の二十五年の努力は無駄じゃなかった、って感じると思うんです。標がそういう達成感を得てからは、すごいことになるんじゃないかなって思います。
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高橋 |
無茶しないと可能性は出てこないかもしれないな。
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徳永 |
ある意味、先生と出会ってからの僕らのチャレンジは、無茶なことの連続だったかもしれません(笑)。でも、だからこそ、今の標がいるんじゃないかと思っています。
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高橋 |
うん。普通の人にはわかりづらいかもしれないけど、標は最重度(裂脳症)の状態から、ここまで可能性を伸ばしてきた。もし、どこか途中で諦めていたら、今の標はいなかった。
僕は、標自身のためにも、同じようなハンディキャップを持っている子どもや家族のためにも、徳永家のチャレンジをみんなに知ってもらいたいと思っているんだ。
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※ドレナージ 頭の中にたまった髄液などを管で体外に出すこと
◎この座談会は平成20年8月9日に行いました。
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「義男の空」第2巻の巻末の
「巻末特別企画」に収録されています。是非ご一読ください。 |
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