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【田中】 帯広の病院に入院してから、
標君の状態がどんどん悪くなっていくなかで、
それでも徳永さんも瑞穂さんも標君の意思を尊重されていますね。
そして、標君もぎりぎりまで耐えていた。
そばで見守り続ける瑞穂さんとしては、
不安だったのではないでしょうか。 |
瑞穂 |
最初はそんなに大変なことになるとは思っていなかったんです。ちょくちょく肺炎は起こしていましたから、いつものことだろうと思っていました。でも、入院して半月ほどですごく状態が悪くなって。最初は肺炎だったのが、お腹を痛がっているから盲腸かもしれないとなって、どんどん病名が変わっていきました。その後、帯広の先生たちの会話の中に「シャントがいたずらしている」という言葉が出てきて、実は脳神経外科の領域では、と父ちゃんが気づいたんです。それで標に「高橋先生に助けてもらおうよ」と言ったんですが、なぜか「自分はまだここで頑張れる」って。
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高橋 |
標の父さんと母さんは、普通の親と少し違うんだ。今は、地域や人のつながりを信用しない人が多いけど、二人とも目の前の人を信じよう、という思いが強い。それを標も受け継いでいるんだと思う。それで、最後にどうしても駄目そうだ、となったら俺を頼ってくる(笑)
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瑞穂 |
標が回復した後で、本当は危なかった、ということを知りました。あの時は一生懸命だったから、死にかけているなんて思ってもみなかったんですよね。
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高橋 |
それが俺のスタイルかもしれない。最初から「死にそうだ」なんて言わない。いろいろ言って心配させるより、結果を良くするのが俺の仕事だからね。
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瑞穂 |
昔から、私たちが高橋先生へ質問するのは、ほとんどベッドサイドでしたから、標も聞いていたはずです。そのやり取りを聞いて、標は「この人は心を開いて、すべてを委ねても大丈夫だ」という気持ちになったのではないでしょうか。
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高橋 |
こういう場合、みんなが一緒にやっていくことが重要なんだ。率直にものを言い合える関係は、標を含めて築き上げたもので、外からは理解しにくいかもしれない。よく医者と患者が同じ目線の高さ、なんていうけど、そういう簡単なものではなくて、俺たちのように一緒に対等につくり上げていくことが大切だと思うし、それが難しい問題を解決させると思う。
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瑞穂 |
最初の頃は「父ちゃんと高橋先生がいつケンカになるか」とドキドキしていました(笑)。でも、そうした真剣なぶつかり合いがあったから、今の信頼関係があるのだと思います。 |
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