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亡くなった健典君を抱きながら、おっぱいをあげたエピソードが心に残りました。ようやく親子として、安らぎのある時間を過ごすことができたのではないでしょうか。 |
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恵子 |
健典が亡くなった時、私の口の中はカラカラで、血の気が引いて声も出ない状態でした。主人に電話をしたのですが、「健ちゃん死んじゃった」と告げてすぐに切ってしまうほど動揺していました。先生は「大丈夫、父さんが来るまで一緒にいてあげる」と言ってくれたのですが、先生にずっと付き添ってもらうのは申し訳なくて、「私、大丈夫ですから」と押し問答になって(笑)。病院が用意してくれた静かな部屋で、健典と二人きりになった時、「そうだ、この子お腹が空いているんだ」とふと思ったんです。「おっぱい飲ませてあげなきゃ」って。それまでは5分くらいしか抱くことができなかったんですが、おっぱいを口に含ませながら、初めて長い間ゆっくりと健典を抱きしめることができました。ようやく、母親としてあたりまえのことをしてやれたんです。
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高橋 |
あの部屋は霊安室じゃなかったんだよ。窓があって海が見える部屋を誰かが用意してくれたんだと思う。母さんと健典のことを思いやってのことだったんじゃないかな。俺も怖いもの知らずでやんちゃだったけど、病院にはそうやって黙って協力してくれるスタッフがいたんだ。
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恵子 |
健典を抱いていると母親としての幸せがこみ上げてきて、穏やかな気持ちになりました。海がキラキラと輝いて、すごくきれいに見えて。「こんな気持ちで病院の窓から海を見るのは、これが最後なんだな」と思いながら、主人を待つ間、健典と二人で静かな時間を過ごしました。
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英次 |
僕はその頃、急いで病院に向かっていたんですが、車を運転しながら「健典が死ぬはずがない。何かの間違いだ。
先生が救ってくれるはずだ」と自分に言い聞かせていました。 |
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だから健典の姿を見たら、あふれる感情が抑えられず、わーっと声を出して泣いてしまって。それから、ずっと健典を抱きしめていました。亡くなって初めて我が子を長い時間、抱っこすることができたんです。とても悲しかったけれど、最後にようやく普通の親子として過ごすことができた時間でした。
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高橋 |
あの時の俺は、本当に健典のことを家に帰すつもりだった。他の先生たちは家に帰すなんてだめだ、という意見だったけど、「病院にいるより家で家族と一緒にいる方が絶対良くなる!」という信念があったから。実際、手術後は健典に反応が出るようになっていたんだ。良くなるイメージで退院指導もしていたし、ナースたちも気合いが入っていた。
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英次 |
僕たちも連れて帰る気でいました。サクション(吸引)の練習もして、準備を進めていましたから。
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高橋 |
同じような症状で、手術をして家に帰ることができた子どももいたんだ。俺としては健典のケースでも「良くなる」予定だった。家に帰してやりたかった、と今でも思っているよ。
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