恵子 |
先生に言われたことが、私たち夫婦の生きる勇気になりました。健典や先生とのことがあったから、30年以上夫婦で向き合って生きてくることができたんです。まだ未熟だった私たちに、「母親って、夫婦って」ということを考える機会をくれたんじゃないかな、と思っています。
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高橋 |
俺もそう思うよ。今でも俺のところに運ばれてくるのは重症の子どもが多くて、救えないこともある。そんな時よく言うのは、たとえその子の生命がなくなっても親の心の中で生き続けるし、親にも周りにも影響を与え続けていく、ということ。本来人間とはそういうものなんだ。だから「子どものことをずっと生かせ」って。俺にできるのは、親が自分を責めることがないように、親の十字架を外して楽にしてやることだから。「忘れる必要はないんだ」って話すんだよ。
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恵子 |
人からは「忘れなさい」と言われたこともありました。でも、そんなことはできなくて、今でも健典の写真に話しかけたりしています。長男の英典が結婚相手の女性を家に連れてきたりするんですが、幸せそうな二人を見ていると、「もし健典が生きていたら、どういうタイプの女性を好きになったんだろう」なんて、想像することもあります。「どんな大人になって、どんな風に暮らしていたんだろう」と、成長した健典の姿を思い描いているんです。
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英次 |
僕はもともと子ども好きだったんですが、健典を亡くしてからは、よその子どもまですごく愛おしく感じるようになりました。だから、長男の友だちが遊びに来ると、「うちに来たらおじさんの子どもと一緒だよ」と言って、自分の子どもと同じように遊んでいました。
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高橋 |
健典の父さんと母さんは、ちゃんと健典のことを生かしきっているからすごい。俺が、子どもたちやその親にいつも言っていることを実践してくれているからすごいし、とてもありがたいな、と思うよ。
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