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武部さんは、当時橋先生が実施していた、ハンディキャップを持つ小児の可能性を引き出すためのプログラム「水泳療育(※2)」にも参加していたそうですね。 |
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武部 |
生後6カ月頃から母と参加していたそうです。中学生まで通っていました。病院以外での先生との接点のひとつです。
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橋 |
未来親子は俺が昭和60年代頃から始めた「水泳療育」の初期の参加者なんだ。未来が子どもの頃は病気を抱える子どもに対しての訓練プログラムなんてなかった。なぜなら、やっても無駄だと思われていたから。でも俺は「そんな風に決めつけるな。取り組む前からあきらめるな」と憤りを感じたんだ。それで始めたのが水泳療育。水中は浮力があるから動きやすいだろ? それでいて水の抵抗があるから確実な筋力の維持やアップにつながる。地上でできる動作をよりスムーズにし、動作の幅を広げていくための基礎的な訓練にちょうどいいと思ったんだ。
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武部 |
本当に、自然に筋力がつくんですよね。泳ぐことにはリラックス効果もあって、私、プールが大好きでした。母にとっても、周りのお母さんたちと話すことができる楽しい時間だったそうです。
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橋 |
そうした場にもなってほしいと思っていたんだ。親も気持ちを共有できる相手に出会ったり、交流する機会って少ないから。現在は参加者の親御さんたちが自主的に動いて、訓練だけでなく親同士の交流の場としても機能しているね。 |
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もっとも、かたちになるまでは相当苦労した。始めた頃はマニュアルはない、指導者もいない、周囲や社会からの偏見はあるわで、かなり大変だった。参加者自体も多いとは言えなかった。だけど「子どものために必要なことだからやろう」と続けてきた。そのうちに歩けないと言われていた子が歩けるようになったりと、結果があらわれてきて、やっと水泳療育の有効性が広く理解され、多くの人が取り組むようになってきている。
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武部 |
昔、先生に言われた言葉で印象的だったのが「自分で病気を治すんだよ」という言葉でした。幼い頃はその意味がわからなかった。「病気ってお医者さんが治してくれるものでしょう?自分では無理だよ」と思っていました。でも今になって、病気に立ち向かう姿勢の話をしていたのかなと思うんです。
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橋 |
そう。水泳療育をはじめとした訓練は、あくまで用意されたサポートプログラム。そういうものをつくることは非常に重要だけど、可能性を開くために一番必要なのは当事者の努力だ。未来はなんでもまず自分でやってみようとする。そして自分なりのやり方でできるようにしてきた。大切なのはそこなんだよ。
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武部 |
私、かなりの負けず嫌いなので、できないままでいるのはすごく悔しいんですよ。それに、大変なことや嫌なことって、避けても不思議といつかまた向き合うことになる。それならぶつかった時にクリアしておいた方がいいなあって思うんです。
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橋 |
そうやって常に能力を引き出す努力と工夫をしてきたからこそ、未来は小・中・高と普通学校に通い、歩けないと言われたけど杖を使い自分の力で歩いている。仕事も、自分の望む仕事をしている。ハンディキャップを持っていても、自分の意志で人生を歩むことができている。結果にきちんと表れているよな。苦労はたくさんあっただろうけど。
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武部 |
そうですね…。学生時代は、ハンディキャップがあるために陰口を言われたり、嫌な目にもあいました。悔しかったし、「なんで私は周りの人と違うの?」と自分自身について悩んで、学校に行きたくないと思うこともありましたね。でも、休んだらその後、余計行きづらくなるし、負けるのは嫌だったので学校には行き続けました。私を理解してくれる友達もちゃんといたので、嫌がらせをする人のことは、「そういう人もいるんだな」と割り切って考えるようにしました。
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橋 |
そういうところがいいよな。困難にぶつかってもその状況を冷静に見つめて、最後には「学校に行ってやる!」って、前向きに考えられるところが未来の長所だ。未来はつらい思いをしたけど、そこで大きく成長できたと思う。 |
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俺は、「したくないことをするのが努力」だと思う。理不尽なことも辛いことも世の中にはたくさんあるんだ。失敗もする。でも、努力して少しずつでも壁を越えていけば、必ず誰でも輝くことができる。幸せっていうのは与えられた条件で決まるものじゃなくて、自分自身の努力によってつくられていくものなんだよな。
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※2 現在は、「ほっかいどうタンポポ」(1993年発足)が実施しており、障がい児のための乗馬療育や自然体験事業などを行っている。 |
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