紀久子 |
退院したばかりの頃は叱ると「橋先生のところに帰る」って駄々をこねることもありましたけどね。でもそれも長く続かなかったですね。
|
橋 |
それはきっと、「この人たちは自分の味方」ってことがわかってたからだよな。
|
芳弓 |
うん。
|
橋 |
芳弓は小さい頃から、自分を大事にしてくれる「味方」をちゃんと見つける力を持っていたもんな。コミュニケーション能力が生まれつきものすごく高いんだ。
|
紀久子 |
初対面の人ともすぐ友達になっちゃうんです。ちゃんと周りを見ていて誰にでも優しいからでしょうね。人間関係を作っていくのが上手だと、親ながら思います。
|
橋 |
本当にたいしたもんだ。芳弓の長期入院については院内でもいろんな意見があったけど、役職に就いているような、発言権のあるスタッフも芳弓は味方につけていた。病院に長く居続けるために、その能力はものすごいプラスだったんだよ。
|
紀久子 |
橋先生や看護師さんたちには退院後も良くしていただきましたよ。退院祝いで花火をしていただいたり、誕生日を祝っていただいたり。夜勤明けだというのに、学校行事にわざわざ駆けつけてくれたこともありました。義務教育が終わるくらいまではしょっちゅう遊びに来ていたし、高校に入ってからも必ず年に一度は会いに来てくれていました。
|
義幸 |
先生には特に、養子縁組の手続きをはじめ節目節目でサポートしてもらいましたね。
|
橋 |
これも俺たちのやるべき仕事なんだよ。だって俺たちはお父さん、お母さんに芳弓を助けてもらったんだから、手島家をサポートする責任がある。障がいのある子は、成長過程でさまざまな困難にぶつかる。特に学校生活では、不必要に行動制限されたり、ひどいと「来ないでください」って言われることもざらにある。
|
義幸 |
理不尽なことはずいぶん言われました。小学校の頃、学校にはお母さんが付き添って行っていた。芳弓の世話は全部していたのに、教育委員会から毎年、「手が掛かるので養護学校に行ってください」って電話がくる。
|
紀久子 |
「あなたは芳弓の学校生活を見たことがあるんですか?」って言ったら、黙っちゃいましたけど(笑)
|